大川のみんなでつくるMade by everyone in Okawa
大川は、団結力も日本一です。
私たちの地元・大川には、腕のいい頼れる職人がたくさんいます。
どんなに難しい要望にも、いっしょにチャレンジしてくれる。
答えを出してくれる。やるからには、日本一。いや、世界一。できるまで粘る情熱と心意気がある。
そして、つくりきる。みんなでものづくりをするのは、本当に楽しいです。
私たちは、そんな大川に生まれたことを誇りに思っています。
- Woodworking town, Okawa
- 木工の町、大川市 福岡県大川市は480年続く家具産業の町です。
豊臣秀吉の時代、天草の地より船大工の集団が移り住み、この地に木工の技術をもたらしました。
九州最大の河川、筑紫次郎(筑後川)がもたらす川上からの搬出を可能にした海運により、家具産業は発展してきました。
筑後川の川上に位置する日田市より日田市で採れた良質の木を川から運び、川下に位置する大川市へと運び込まれました。
そこで木の製材加工をし、家具や建具等作られてきました。
その後、長い歴史の中で匠の技を受け継ぎ、新しい技や洗練されたデザインも生み出し、今では日本一の生産高を誇る”木工の町”となりました。
今では約300社もの工場があり、たくさんの木工の職人がいます。
家具の製造、障子や襖、組子等の建具、木を加工し製材するなど様々な木工技術が溢れています。
- Wood processing
- 木材加工 大川市には色々な木材加工をする工場がございます。
・丸太を皮むきし、角材に木取りする加工。
まずは丸太を皮むきにしてから製材加工に進みます。
製材する時、木の性質を見てその木に合った「木取り」をし、角材となっていきます。
・「反り」や「曲がり」を抑える工程として木材を乾燥させる。
木取りされたばかりの角材はまだ生木のままなので「反り」や「曲がり」が出やすい状態です
。角材は乾燥室へ入れられ、木に含まれる水分を乾燥させていき含水率を下げていき、これから色々な形へと加工されていきます。
・角材を更に細かく製材し芯材へ加工
角材を更に小割に製材し、家具や建具等の芯材へと加工します。
芯材は合板と合板を挟みこみ厚みのある板材へと加工する際に使われます。
・木をスライス加工してツキ板へと加工
木を厚さ0.2mm~にスライスしツキ板へと加工します。
ツキ板は合板などに張り合わせ、家具や建具などへと使われていきます。
- Okawa furniture
- 大川の家具 大川市では時代の流れとともにニーズに合わせた様々な家具が作られてきました。
・木工の祖 榎津久米之介
大川市榎津本町の願蓮寺の開祖である榎津久米之介が天文5年(1536)家臣に商工
させたのが、榎津指物(家具)の起こりと言われています。
・稀代の家具デザイナー 河内
昭和30年(1995)大阪で開かれた西日本物産展で河内諒デザインの和箪笥が最高賞を受賞。
洗練されたデザインで日本中の人気を集めました。
大川のみんなでつくるTo be the best in the world together.
- Do a job that pleases the most customers in the world.
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日本一の木工の町に、私たちは生まれた。
世界一お客さんに喜ばれる仕事をする。 魚屋さんがやる居酒屋が、安くてうまくて評判になるように、木材の加工だけでなく、木材を仕入れて加工する会社になろうと思った。それが、プロセス井口のはじまり。
1959年。叔父が、木材の加工をする井口小割製材所を興した。いわゆる材料屋だ。
それから20年くらいすると、バブルがはじけた。大川の大きな会社が次々と倒れていく。
もちろんうちの会社もあぶない。待っていてはだめだ。自分から動かないと。
魚屋さんがやる居酒屋が、安くてうまくて評判になるように、木材の加工だけでなく、木材を仕入れて加工する会社になろうと思った。
それが、プロセス井口のはじまり。後を継いだのは、30歳の時だった。思いがあった。「いつか、ものづくりがしたい」。機械も1台1台買っていった。
36歳の時に、ものづくりのTR ADESを設立。
まずは一人で、家具までつくれる材料屋になった。やっていくうちに、「東京に出ないとダメだな」と思うようになった。
同時に、大川全体のことも本気で考えはじめた。大川はものづくりで、日本一だと思っている。
どこにも負けない自信がある。大川全体の仕事が盛り上がらなければ、自分たちの成長もない。大川がチームになって、みんなで東京の仕事をしよう。
まず自分が東京に出て、大川の力を売り込むことにした。
東京では、デザイナーやアーティストなど、多くの方との出会いがあり、自分たちだけでは想像もできなかった様々なものづくりを経験することになった。
本当に自信になった。仲間が増えていくのも、うれしかった。
そこからさらに私たちは走り続けた。店舗づくりやリフォーム、海外の優れた建材の販売。
そしてこれからは建築にまで手を伸ばしていくため、私も建築の勉強をはじめているんですが、なかなか手強いですね。
私には、心にずっと温めている目標があります。「大川のものづくりを発信し、日本の地方のモデル都市になること」です。
そして、大川が一丸となって、日本一いや、世界一になりたい。
そうなれると、私は信じているんです。責任を持って、やり遂げていきたいです。
東京に出るようになって、ふるさとのことがよく見えるようになったけれど、やっぱり大川のものづくりは日本一だと思っています。
だから、これからも全力で走り続けますよ。攻撃は最大の防御ですから。