第一次世界大戦とヨーロッパの木材不足BLOG DETAIL

コロナ禍、ロシアによるウクライナ侵攻・・有事の際は木材不足が生じます。このことは、ここ数年続いた世界規模の混乱とウッドショックで我々日本人の知るところとなりましたが、歴史を眺めてみると稀な事象ではなく、過去にも太平洋戦争、戦国時代、応仁の乱など、ことあるごとに木材不足が生じていたことを忘れてはいけません。

さて、戦争の繰り返しともいえるヨーロッパにおいても、その長い歴史の中で幾度となく木材不足が生じてきました。今回の記事では、その中でも特に規模が大きく、イギリスの木材産業の構造を根本から変えてしまった「第一次世界大戦中の木材不足」について解説を行っていきたいと思います。島国であり、木材需要の多くを外材に頼る我々日本人にとって教訓となると事が多いでしょう。

第一次世界大戦の勃発と総力戦

大国間の大規模な近代戦争であり、終戦までに1000万人が死亡したとされる未曽有の大戦、第一次世界大戦は1914年にオーストリアの皇太子がサラエボでセルビア人の極右青年に射殺され勃発しました。

この時代、1914年当時、互いに利害の絡みあったヨーロッパ諸国は一発触発の火薬庫状態になっており、今回の暗殺事件によって以下の2陣営に分かれて戦火が火を噴くこととなります。

中央同盟軍:
ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア

連合軍:
イギリス、フランス、ロシア帝国、セルビア、イタリア、(アメリカ)、(日本)、等々

オーストリアがセルビアに最後通牒を突きつけると、ロシアがオーストリアに宣戦布告、そのロシアにドイツが宣戦布告し、戦火はあっという間にヨーロッパ全土に拡大します。

戦争の最中、各国は飛躍的な技術革新をもたらし、毒ガス、戦車、飛行機、機関銃などが戦場に投入されることとなりました。こうした兵器に対抗するため、各国はドーバー海峡からスイスに至る長大な塹壕を築くこととなりました。

第一次世界大戦と木材

第一次世界大戦は、第二次世界大戦に負けず劣らずヨーロッパの木材供給バランスを崩壊させた戦いとして知られています。本大戦は、各国間の「築城戦争」でもあり、上述のような塹壕や兵舎の建築、寒い冬を凌ぎ食事をするための薪、並びに広大な戦線を維持するための鉄道網や輸送手段のため、途方もない数の木材が戦場で消費されることとなったのです。

多くの木材を消費する塹壕内部
(C)Austrian_National_Library-Unsplach

フランス

本大戦の影響を最も受けた国の一つが、国土が戦火にさらされたフランスです。連合国側ではロシアに次いで多い、130万人の戦死者と420万人という戦傷者を出しました。

戦時中を通じ、フランスの森林の35万ヘクタール(日本の年間伐採量の約3倍の面積)が壊滅的な打撃をうけ、むこう60年間は製材が期待できないほど荒廃したと言われています。

もっとも、直接戦火に晒されなかった地域の森林(国土の90%)はそこまで影響を受けなかったようで、国の管理下にある森林という条件に絞れば、伐採量が5~10%ほど増加しただけにとどまっています。

原因としてはいくつか挙げられますが、イギリスのように海上封鎖されなかったことで陸路での木材輸入が可能であったこと、皮肉なことにフランスの人的損耗があまりに膨大過ぎて、木の伐採に割ける人員が不足していたことが大きな理由とされています。そのため、アメリカが第一次世界大戦に参戦し、まずはじめにフランスが彼らに依頼したことの一つは、木材の伐採のサポートでした。

ともあれ、第一次世界大戦後にフランスの林業が混乱に陥ったことは事実で、ドイツからの賠償の一環として木材資源を現物支給で賠償金(賠償材?)として受け取ることを約束させました。周知のとおり、この一連の過度の賠償とドイツ経済の締め付けは後にドイツの恨みを買い、第二次世界大戦の遠因となります。

第一次世界大戦で荒廃した国土
(C)Museum_Victoria-Unsplash

ドイツ

フランスほど本土が戦場と化すことの少なかったドイツにあっても、木材不足問題は深刻でした。フランス同様、広大な戦線を維持するための塹壕や兵舎、それに用いる木材は圧倒的に不足していたのです。

考古学者が第一次世界大戦の塹壕で用いられていた木材の種類を調査したところ、発育の早いモミやトウヒが黒い森(シュバルツバルド)から伐採されていたことが判明しました。また特に、占領地域であるルーマニアやポーランドの森から収奪されたことが予想されており、現地住民の暮らしを圧迫しました。

森に掘られる塹壕
(C)British_Library-Unsplash

最終的に敗戦国となったドイツは戦後賠償で木材資源などをフランスに差し出すことを約束させられます。また、こうした木材供給の混乱下にあって、市民による無許可の伐採が横行、ドイツの産業は一層混乱しました。国による木材の支給が期待できないので、自家栽培が発展し、今でもドイツの家庭では郊外に「自家農園」を保持しています。

こうして混乱した経済のなかから彗星の如くあらわれたヒトラーがドイツ国民の希望となり、後にヨーロッパに未曽有の大惨事を招くこととなります。

イギリス

第一次世界大戦でもっとも木材不足の煽りをうけた国の一つが、戦勝国であるイギリスです。1914年第一次大戦勃発時、既にイギリスは長年の森林破壊の代償として、木材自給率5%という異常な木材輸入依存国と化しており、戦争の勃発とともにドイツの潜水艦がイギリスを海上封鎖すると、イギリスの木材市場は真っ先に干上がる可能性を帯びていました(非常に興味深いことに、イギリス政府の当時の見解としては、食料不足よりも先に木材不足によってイギリス経済は崩壊するだろうとのことでした)。

まだ電気ストーブなどが発明されていない時代、ヨーロッパの厳しい冬を越すには薪が不可欠ですが、木材が干上がると庶民には火を炊くための薪が調達できません。

イギリスの問題として、森林自体の不足(主に産業革命で破壊しつくされた)もそうですが、国内の林業スキームや法体制が全くといっていいほど整備されていなかったことも挙げられます。世界中に発展した植民地と、そこからの輸入材に長年頼っていた王様商売のツケで、イギリス政府は戦争と並行して、国内の林業体制を整える、という内政に着手せざるを得なくなったのです。具体的には、私有林の伐採、不足する林業従事者を補うための外国人労働者や女性の採用、等です。

こうした戦時下のその場しのぎの弥縫策が功を奏し、イギリスはどうにか5年という長い第一次世界大戦期の木材需要をカバーすることに成功しますが、1919年に戦争が終わったころにはスコットランドを含むイギリスの森林は、無計画な伐採により完全に壊滅状態にありました。

また、ロシア帝国が第一次世界大戦によって崩壊したことで、戦後も木材を安定的に輸入できる国が無くなったため、イギリス政府は木材資源を復興させるための委員会を発足、国主導の計画的な植樹をおこなわせます。

もっとも、木材が育ち伐採に耐えうる大きさになるまでには数十年を要します。木材自給率が回復しきるまえに、20年後には第二次世界大戦が勃発し、イギリスの木材事情は完全に火の車となるのですが、島国であり木材を輸入に頼る我々日本も教訓とすることがあるかもしれません。

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