エジプト文明から近代まで:木製家具の歴史BLOG DETAIL

身近にあり、加工がしやすく長持ちする木材という素材を活かし我々人類の生活を支えてきた「木製家具」。長い人類の歴史の中で幾度となくその形状を変化させ、対応してきた家具文化は、世界史を紐解くうえでも重要な役割を持っています。

今回の記事では、我々が普段使っている木製家具がどのような歴史を経て進化を遂げてきたのか、エジプト文明から近代まで時代を駆け抜けて解説していきたいと思います。

家具の登場(古代)

石を用いたテーブルなど、ごくごく原始的な家具の面影は人類が歴史に登場した時代から散見されますが、我々が思い描く「本格的な家具」が登場するのは四大文明の時代(4000~6000年前頃)であるとされています。

家具の発展には、農耕文化と木工技術の定着が不可分であるでしょう。狩猟文化から農耕文化への変化が「定住」の概念を人類に持ち込み、それに伴って固定式のテーブル、椅子、棚などが、水や食料を貯蓄するための道具と共に重宝されるようになっていきました。

約5000年前に登場したとされるエジプト文明は、木製家具の当時の最先端であったとされます。砂漠地帯であるエジプトは木材の乾燥に適しており、既にベッド、棚、テーブル、椅子といった我々が普段目にする木製家具の原型のようなものを5000年前には発明していたというから驚きです。また、当時の最先端文明としてのエジプト人の教養の高さも木製家具の発展に貢献しました。現代のような木工機械はおろか、カンナもノコギリも無い時代、木材の加工は限られた道具で行わざるを得ません。そうした技術の伝達や修練をおこなうためにも、国という組織単位でのコミュニティの存在、地元の職人たちの文化的素養が求められたのです。

古代エジプトで用いられた木製家具 (Copyright, Flicker @Gary Todd

エジプト文明の衰退とともに地中海の覇権はギリシャ、そしてローマ帝国へと引き継がれていくこととなり、西欧文明の中心地もそちらへ移行します。農耕文化に特化したエジプト文明と違い、地中海の覇権を得て広大な交易路を利用できる立場にあった両文明は、気候の異なる各地から木材資源を手に入れることができ、製造できる木製家具の幅も広がっていったと言われています。

プロセス井口:北アフリカ出張時

ローマ帝国の崩壊

世界史最大規模の大帝国を築き上げたローマ帝国は、広大な植民地と交易路を駆使しして、様々な木材資源を輸入、建築物や家具に用いる余裕がでるようになりました。紀元前1世紀前後から続くローマ帝国の最盛期には、遺跡から装飾や宝石の施された豪華な家具が出土しています。家具は、ローマ帝国にあって単なる機能的な道具ではなく、権力者と平民のヒエラルキー分けるための篩としても機能していたわけです。

当時の人々の生活跡が息づくポンペイ遺跡 (Copyright, Flicker @Mary Harrsch

もっとも、ローマ帝国の時代に見られる「様々な種類の木材を用いた家具や建材」は、やがて歴史から姿を消していくこととなります。一つには、ローマ帝国による植民地政策が過度の森林伐採を招き、森林資源が枯渇していってしまったことが考えられています。家具や建材としては愚か、レンガ、鉄、軍需必需品の製造にも火が必要となり、そのためには膨大な薪が使用されたのです。二つには、ローマ帝国の崩壊によって交易路や職人技術が寸断されたことです。

395年、広大な版図を誇ったローマ帝国は東西に分裂、さらにゲルマン民族の大移動の嵐の中で、西ローマ帝国は滅亡、現代ヨーロッパの原型となるような諸国に分裂していき、同時に木材のサプライチェーンやそれを繋ぐ木工関連職人の技術もばらばらになってしまいました。

ルネサンスの時代

古代エジプトやローマ帝国における家具文化の急激な進化とはことなり、その後1000年ほど家具の発展は停滞したとされています。各ヨーロッパ諸国では、身近に手に入るオークを用いたテーブルや椅子が使用されることはありましたが、古代の家具に比べ飛躍的に技術が向上する、という物的な遺産もあまり報告されていません。

家具の歴史が再び動き始めるのは、西ローマ帝国の滅亡から約1000年後、14世紀のルネサンスに触発されてからです。皮肉なことに、ローマ帝国の残滓である東ローマ帝国(ビザンツ帝国)は15世紀に滅亡することとなりますが、その前段階としてビザンツ帝国内の知識人がヨーロッパ諸国に散らばったことがルネサンスの起源とされ、ここでもローマ帝国の影響が垣間見えます。

ロココ式内装、小トリアノン宮殿(Copyright, Flicker @Jorge Láscar

ルネサンスに触発されたヨーロッパ各国では、独自のデザインや装飾を施した豪華絢爛な芸術や建築を生み出しました。その中の一環として木製家具も新たなデザイン的進化を遂げることとなります。その後に追随するバロック、ロココ、新古典主義など今まで見られなかった斬新な家具の進化が生み出されました。人口比的にも、お金に余裕のある中流階級が増えたことで、こうした芸術や家具文化が芽吹く土壌が整えられたと言えるでしょう。

デンマーク国立博物館に展示される古城のテーブル(Copyright, Flicker @Thomas Quine

ビザンツ帝国を逃れた職人や知識人がルネサンスの後押しとなったように、日本でも同時期、室町の戦乱を逃れた貴族が日本各地に技術や文化を伝承することとなります。その中の一人は、京を逃れた榎津久米之介であり、九州に逃れ日本を代表する大川家具の原点となりました。

近世・近代、家具の大量生産時代

長らく職人芸と見なされていた木製家具文化は、産業革命の誕生によってその様相を変化させます。手作業で一つ一つ作り出される家具という概念は、機械や効率的作業工程の登場によってマスプロダクション化することとなり、企業は最大利益を追求し、以下に機能的に安価な家具を生み出せるかという点に知恵を絞るようになりました。ここにおいて、芸術性、耐久性といった面は疎かにされはじめたと言われています。

王侯貴族品の娯楽品としての家具から、一般庶民の生活必需品としても質的変化が家具業界になされた瞬間です。その潮流は現代まで続き、今も世界中で消費される木製家具のほとんどが大量生産財として工場で製造されています。

もっとも、中には職人技術を連綿と引き継ぐ文化や伝統が世界には多く残っていることもまた事実です。上述の通り、職人の生み出す芸術品としての家具の価値は、現代のような大量生産時代にも落ちることなく、むしろ貴重な文化として世界中のファンを魅了し続けています。

デンマークコペンハーゲン、イタリアミラノ、ドイツNRW州、福岡県大川市・・世界の中でも職人文化を大切にする国の中には、このような手作りの家具文化を継承する都市が多く存在しており、そうした職人によって生み出されれる家具には魂が宿るとされています。現に、古代ローマ帝国や中世ヨーロッパで製造された木製家具は全て手作りである、その耐久性を証明しています。

480年の歴史を持つ大川の職人たち

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