日本の経済発展を支えた:日本の家具づくりの歴史BLOG DETAIL
木製家具生産はかつて日本の誇る産業の一つでした。潤沢な木材資源と職人技術という比較優位を持ち、90年代までは日本の経済を牽引するプレイヤーとして活躍しましたが、後述するような人口動態の変化、日本の経済退行、輸入家具の台頭、などといったファクターによって、日本の家具生産は正念場を迎えつつあります。
今回の記事では、日本の家具の歴史、発展と衰退、今後の在り方、という3つの時系列に分けて、わが国の家具づくりについて解説していきます。
日本の家具文化の発展
椅子に座り、テーブルの上で食事をし、ベッドの上で眠る西欧の生活文化は背景からして相応の家具を要することが理解できることでしょう。一方で、畳の上に眠り、押し入れに収納し、胡坐をかいて座る、という生活様式に慣れ親しんできた日本人にとって、そもそも「家具」は江戸時代以前あまりなじみのないものでした。
大川市、静岡市、高山市、府中市、旭川市、といった日本の家具産地を見ても、江戸以前に船大工や匠丁のような家具づくりの基礎となるような基幹産業こそありましたが、それが本格的な家具ビジネスとして成長を遂げるのは近代化が進み、家庭だけでなく、学校やオフィスのテーブル・椅子のようなスペースが西欧文化を取り入れるようになってからです。
日本の主な家具産地
- 大川家具 基礎は室町後期の船大工。本格的な発展は明治前期
- 静岡家具 基礎は江戸前期の浅間神社普請。本格的な発展は明治初期
- 飛騨家具 基礎は律令時代から存在する飛騨工。本格的な発展は昭和初期
- 府中家具 基礎は江戸中期のタンス作り。本格的な発展は昭和期
- 旭川家具 基礎は第七師団の都市開拓。本格的な発展は戦後
- 徳島家具 阿波水軍と船大工。本格的な発展は明治以降
家具の生産増加が日本の近代化と不可分なのは、生活水準が向上し、西欧風の生活様式が庶民に定着したからだけではありません。例えば府中市のキリ箪笥のように、運搬の困難な重たい家具にとって鉄道・輸送網の発展は販路を広げるためのエッセンスとなりました。旭川市の家具製造が本格的に発展したのは、木工技術が発展し、人工乾燥が可能になる戦後を待ってからです。
このように、生活様式の変化だけでなく、近代化・技術の進化とともに、今まで加工の難しかった木材が加工できるようになったり、遠方への運搬が可能になったりと、ビジネスの幅が広がったことが生産拡大の一助の原因と挙げられるわけです。
19世紀の近代化以降で日本の家具生産が急増した理由
- 庶民の生活水準が高まり、衣服や食器など収納の需要が増した
- 椅子やテーブルなど、西洋風の生活様式の需要が増した
- 陸運網の発展によって遠方からの木材調達・遠方への製品運搬が可能になった
- 木工機械・技術の発展とともに、加工できる木材や家具が増えた
元々豊富な天然資源に囲まれ「木工」「物作り」の土壌があったなか、近代化以降「工業化」「経済発展」「物流インフラの発展」が歯車のようにカッチリと組み合わさり、日本における家具づくりが促進されたと言えるでしょう。
日本家具産業の拡大と衰退
家具産地によってその成功要因は違えど、戦後の復興需要、新築家屋の増加や高度気経済復興期、ベビーブームのような経済のポジティブな要因は、概して日本の家具産業にとって大きな追い風となりました。
例えば、大川や府中のように箱物家具(タンス)を得意とする家具産地は、戦後の結婚ブームに乗り、結婚生活のスタートに必要な「婚礼家具(洋服ダンス・和服タンス・整理タンス)」を基幹ビジネスとすることに成功します。旭川や静岡では進駐軍向け家具の製作需要が拡大、特に旭川ではのちに「北欧調」家具を得意とする基盤が作られました。
需要増加だけではなく、品質・付加価値の向上も呼び水となりました。新進気鋭のデザイナーや経営者が颯爽と家具産業に登場するのもこの戦後~高度経済成長期のことです。具体的な例では、大川では「引き手なしタンス」の生みの親で知られる河内諒が、旭川ではドイツ留学を通じ現地のデザインや販売方法を学んだ長原實が挙げられる(こうした人材は、大阪商業大学粂野教授の言を借りると「中核的人材」と呼ばれる)。
この時代、家具職人の集合体が、コールマン的な「社会的資本」(出典:国際的競争下における大川家具産地の縮小と振興政策)、すなわち個々の企業同士が密接なコミュニケーションを通じ社会的組織化していくことで、さながら家具生産地域全体が巨大なグループ企業のような発展を遂げていった、まさに日本の家具作りの歴史の最盛期と呼べるでしょう。
もっとも、その他の日本のモノづくり産業と同様、その栄光は永続的なものではありませんでした。1990年を頭打ちに、日本の家具づくり需要は減少、家具生産の5大拠点として持て囃された各都市も例外でなく、統計の取り方によって差異はあれど、全体的に全盛期の半分以上の売上低下に喘いでいます(大川市の例:1990年のピーク時には約1200億円の売上高。2010年以降約300億円前後で推移)。
こうした、日本製家具需要の低迷の原因は諸説挙げられており(あるいは複合的な要因)、直接的な原因がなにかを特定することは難しいものの、おおよそ他の産業形態同様、以下のような理由に帰することができます。
需要面での原因
- 高度経済成長の終焉と日本の経済低迷
- 結婚ブーム・ベビーブームが終焉を迎え、婚礼家具需要が減った
- 生活様式の変化
農林金融のデータ(家具向けの木材需要2016)では、1990年時点で20,000円前後あった1世帯当たりの家具への平均支出額は、2010年代後半では6,000~7,000円と実に3分の1程度に減っており、人口動態の変化と経済後退のダブルパンチが家具需要低迷の原因とされています。
供給面での原因
- 付加価値・新技術面でのスランプ
- 外国製安価な家具の輸入増加
- 海外へのアウトソーシングと空洞化現象
国全体としての木製家具需要が低迷する一方、海外の安価な家具の輸入量は年々増加傾向にあり、1996年時点で1598億円であった木製輸入家具の取引量は、2015年で約2倍の2911億円に増加しています。必然的に、国内の木製家具の輸入量が占める割合である「輸入浸透率」も年々増加しており、2015年時点で約30%に達しようとしています。
このように、江戸時代より続く日本の家具生産の現場は、内需の減少・国外の脅威、といった内外からの問題に晒され、重要な転換期を迎えているという訳です。
家具作りの未来に向けて 地元優位性を活かした新時代へのアプローチ
今後の日本の家具づくりの未来のかじ取りを占うに、九州大学山本教授の以下の言明は正鵠を得ているのではないでしょうか。
ところで、経済学の比較優位論の観点からすれば、国際競争力を失い、途上国と比較して日本国内での比較優位を失いつつある木製家具製造業を、政府が支援しなければならない理由があるのか、ということも問われなければならない。仮にそれが、従来型の家具企業の存続を目指すだけならば、実施する意味はない。比較優位を失った産業から労働力や資本は比較優位のある産業に移動すべきだというのが、主流派経済学からの回答になる(国際的競争下における大川家具産地の縮小と振興政策)
同論文の中で、教授は上述のように耳に痛いことを言いつつも、大川の進める市としてのインテリア振興を一定数評価し、今後の日本の家具づくりに対し「デザインと高付加価値」「市場調査と海外販路」「各社に適したブランド戦略」「インテリアと人材育成」などのキーワードを交え将来の方向性を示唆しています。このことは、旭川家具の例を挙げ、地域としての人材育成を助成し、地元の家具づくりレベルの底上げを謳う粂野教授の「産地の変遷と中核的人材」と通底する部分があるでしょう。逆に言うと「何もしないとジリ貧・比較劣位化」することを示しています。
失われた20年とは、日本経済が「攻めを忘れた」結果だと我々モノづくりの現場はとらえます。時代の節目節目、日本という国は危機に見舞われるたびに底力を発揮し、難局を乗り切ってきましたが、その捨て身の気概を忘れてしまうとやはりジリ貧になっていくのもまた事実です。日本のモノづくりの現場は、常に「攻めの姿勢」が切り開いてきました。
当社、プロセス井口が家具づくりにおいて「革新」を軸にするのも、主にこの攻めを重んじる理由です。480年の歴史を持つ大川の職人文化、安価で良質な木材の供給体制、研磨され続けた製材技術、さながらグループ企業のように張り巡らされた「社会資本(地元のコミュニケーションシステム)」といった大川の独自優位性に甘んじることなく、新たな時代のものづくりに適応するために、「デザイン」「インテリアのトータルコーディネート」「国際競争力」といった付加価値の向上を旨としたわけです。こうした飽くなき向上心こそが、我々難局を迎える日本の家具づくりの必要とするところではないでしょうか。
近代人材育成の理論では、他社と比較して自社の優位性を確保するためには「付加価値のある」「希少で」「真似のできない」「代替不能な」人材を確保することだと言われています。日本のモノづくりが困難な局面を迎えようとするなか、我々プロセス井口は攻めの姿勢を崩さず「誰にも真似のできない家具づくり」をおこなえる企業であり続けたいと思います。
参考文献
室内と家具の歴史(小泉和子)
インテリア産業関係統計資料(大川市)
戦後日本における木製家具メーカーのセミオーダー家具の変遷とその背景(新井竜二)
国際的競争下における大川家具産地の縮小と振興政策(山本健児・松本 元)
産地の変遷と中核的人材(粂野博行)
家具向けの木材需要(安藤範親)
日本型グローバル化の実態と持続可能な地域経済を支える中小企業の課題(吉田敬一)