日本の誇る木製家具の5大産地の歴史と特徴についてBLOG DETAIL
日本には「家具の5大産地」と呼ばれる地名があります。480年の歴史をもつ大川家具の大川市、徳川家光に端を発する漆塗の静岡市、飛騨家具の名で知られる高山市、備後キリの使用で有名な府中市、近代日本のフロンティア精神を継ぐ旭川市、などの名が一般的に挙げられ(かつて大川・静岡に次いで家具生産3位の座にいた徳島市を加えて6大家具の産地と呼ぶこともあります)、日本の家具生産をリードしている形です。
こうした家具産地を耳にしたことがある一方で、どのような経緯でこうした地域が全国で名の知れた名産地になったのかまでは知られていないことが多いのではないでしょうか。今回は、当社が居を構える大川市に加え、日本の家具生産地それぞれの歴史と成り立ち、特徴について解説を行います。
家具産地の備える条件
日本で家具産地と呼ばれる地域は、歴史的・地理的に家具の産地にふさわしい条件を有していることが多いと言えます。多くの家具産地は室町~江戸時代に発展を遂げたものですが、トラックや列車がなく、道路も舗装されていなかった当時、巨大な杉の木や完成品を陸路で運搬するのは至難の業でした。
それゆえ、家具づくりの産地には、常に木材を運搬可能な河川や港が必要となってくるわけです。加えて、その当時遠方から木材を切り出して運んでくるわけにもいかず、基本的に家具づくりで有名な地域は、良質な木材の産地としても有名であることが伺えます。
家具産地の要件
- 流通にアドバンテージがある(港や河川など)
- 豊富で良質な木材資源を抱える
- 家具作りの発端となるような建造イベントや人物がある
- 製品の消費地・経済的な要衝などが近くにある
もっとも、地政学的に恵まれた条件をもつ、というのはあくまで十分条件でしかありません。こうした地域が家具生産を生業に発展していくためには、それぞれの契機となるような出来事やリーダーがあったわけです。以下、日本の5大家具の産地と呼ばれる地域の特徴と歴史、有名になった出来事などについてまとめていきます。
大川市(福岡県)
日本で最大の家具生産地として知られるのが福岡県大川市です。人口4万人規模の小都市ですが、年間約330億円(令和元年、インテリア産業関係統計資料調べ)の家具生産売上高を誇り、数十年近く日本の家具生産のマーケットリーダー的ポジションを維持している存在です。
歴史的に見ても、大川市は家具生産地としてお手本のような好条件を備えていたと言ってよいでしょう。木材運搬に適した広大な筑後川と五ヶ浦廻船で知られる海運ネットワーク、日田をはじめとする九州の豊潤な森林資源、貿易の玄関口として栄えた福岡の持つ経済的安定性、と、このような好条件に恵まれた大川市が日本の家具生産を牽引するようになるのも、地政学的に見ると自然な流れだったのかもしれません。
生来、家具づくりの地として恵まれた大川が家具づくりのマーケットリーダーとして飛躍するのは、今から遡ること480年前、室町時代後期1536年の時代のことです。榎津久米之介という、当時の足利幕府幕臣の弟が、出家後地元の職人たちの船大工技術を活かし指物家具を作らせたことがきっかけで、大川市に家具づくりが定着しはじめたと言われています。
今でこそイメージが湧きにくい「船大工」ですが、船での物流・運搬が一般的であった当時としては、交易の道具としても戦争の道具としても船は重要な役割を担っており、戦国大名も兵糧・兵器の運搬を支えるために多くの海軍を要しました。戦国時代が終わり、戦争利用の船の需要が減ると、こうしたかつての船大工たちは、次第に平和な家具づくりに己の技術を転用し始めたのではないかと考察します。
大川市では江戸時代を通じ、林業、卸、製材、職人、塗装、物流という家具作りにまつわる一貫したビジネススキームを構築する土壌が整えられました。この「大川市の中で完結した木材の動きができる」というアドバンテージは、明治以降複雑化していくモノづくり・家具づくりのニーズにまさに適していたと言えるでしょう。明治前半期、榎津箪笥の登場以降大川市の名声はますます拡大することとなり、名実ともに日本を代表する家具産地としての確固たる評価を得たのです。
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静岡市(静岡県)
大川市に次いで日本2位(年間約164億円)の家具製造規模を誇るのが、徳川家康のおひざ元、静岡市です。かつて駿府と呼ばれた静岡市は、室町時代は今川氏の領地として、今川義元が桶狭間の戦いで没落するまでは「東国の京」と呼ばれるほど繁栄しました。
温暖かつ穏やかな気候で知られる静岡市は、周囲を豊かな森林資源で囲まれ、南は天然の港である駿河湾に面しており、海上交易路として要点を担ってきました。こうした、地政学的にも経済的にも好立地を抱えた静岡市が家具の生産拠点として発展するのは、1635年、徳川家光による浅間神社の大改修工事によるものとされています。
上述のように、かつて今川義元の本拠地であった駿府は、徳川家康が人質時代を過ごした思い出の場所でもあり、元服を迎えた際もこの浅間神社であったと言われています。また、武田家との戦争の際、家康は戦後必ず復旧すると神々に誓いをたて、神社を焼き払い、武田軍を破ったとのこと。江戸幕府設立後も、家康は駿府城から大御所政治をおこないました。このように、家康の人生の節目節目で登場する駿府は、徳川将軍家にとっても特別な地であり、定期的に修繕が行われており、中でも徳川家光の修繕は本格的なものだったと伝わります。
この普請工事の際に、幕府から招集された大工の棟梁、職人たちが駿府に引っ越してきたことが、静岡家具の発端と言われています。工事完了後も大工や職人(漆工など)たちがその土地に定着(漆塗りに適した気候だったからとも、住みやすかったからとも言われる)、次第に家具づくり文化に発展していったわけです。
静岡家具の元祖は、上述の経緯で上方から移住してきた漆塗り技術を活かした漆塗り家具です。漆塗りの鏡台が静岡家具の元祖となり、その後タンスなど徐々に大衆受けする家具生産地へと時代の流れとともに変化を遂げました。
高山市(岐阜県)
国土の66%が森林で覆われた日本の中でも、特に日本の飛騨高山地域の森林面積は群を抜いた「92%」を誇り、日本随一の豊潤な木材資源(全国有数のブナ生息地、お隣長野には日本三大美林である木曾ヒノキを抱える)に囲まれた地域です。
家具生産地としての歴史は1920年からと浅く、当時有効活用されていなかったブナ資源を家具づくりに転用することで産業として成功をおさめ、椅子やテーブルなど高級路線家具で定評を持ちます。最も、飛騨高山の木工都市としての成立はかなり古く、豊かな森林資源を背景に木工職人が育ちやすい土壌を抱えていたことから、7世紀の租庸調(当時の税制)では飛騨地域の人々は大工として出仕することを条件に特例で庸・調を免れました(匠丁・飛騨工と呼ばれた)。
冬は雪で覆われ、中央政権から隔絶された地域にありつつも、独自の弱みを強みにかえ、職人コミュニティを形成し成功を収めた飛騨高山の家具作りビジネスモデルは、今後地方分権、地方創生の問われる時代において新たな「ものづくり」の在り方を投げかけるように思えます。
府中市(広島県)
現在は福山市のベッドタウンとして知られる人口40,000人程度の小都市ですが、かつては備後の国の国府がおかれた地域でもあります。府中の国としての成立は古く、7世紀には当時のヤマト朝廷との繋がりから律令制が敷かれ、山陽道交易の要衝として戦国時代には山名氏、尼子氏、毛利氏など領主が目まぐるしく変容しました。
家具産地としては、上述の通り地政学的に恵まれており、美しい見目と絶妙な湿度透過性から、主にタンスの用途で用いられる備後キリの産地であること、日本有数の木材港の松永港を近くに有するなど、大川市同様に、家具づくり産地として有名になる前からその土壌は備わっていたと言えるでしょう。
府中市が家具づくりの狼煙をあげるのは、江戸中期に大坂でタンスづくりの修業をした内山円三が地元の府中(鵜飼町)に帰郷し、その技術を広めたからと伝えられています。もっとも、地理柄、車も鉄道もない当時の運搬技術では重いタンスを出荷するのは困難だったようで、せいぜい近隣諸国への販売にとどまっていたとのこと。府中家具が本格的に日本の歴史にその名を登場させるようになるのは、近代化とともに物流インフラが整い、陸運で家具の遠方への運搬が可能となる20世紀以降のことです。
特に、地域のタンス産業を婚礼家具と繋げたことは、府中家具の契機となりました。戦後の結婚・ベビーブームと結びつき、人々の生活に密接に関わる婚礼家具販売にかじ取りをおこない、成功を収めました。
旭川市(北海道)
最後に、今回紹介する家具の産地の中で一番歴史の新しいといえる旭川家具の紹介です。日本の近代史まで、北海道(蝦夷)は時の権力者にとって重要な意味をなさない土地でしたが、明治維新とロシアからの国防の脅威に晒されるにいたり、明治政府は本格的な北海道の開拓に着手します。
最初は開拓使という名目で、やがては国防と密接に関わるロシアとの前線基地として第七師団の手を借り、北海道の発展が促されたわけです。この際に、鉄道や建物の建設にあたった大工や職人、技術者が旭川家具の起源だと言われています。
土地が痩せ産業もない北海道という土地は、手つかずの原生林が生い茂るという以外これといって産業化できる部分もなく、もっぱら第一次産業が助長されましたが、凶作など地元経済の不安定を理由に、豊かな森林資源を活かした「木工業振興策」にかじ取りされたわけです。
日本の森林面積の5分の1にあたる22%を保有し、トドマツ、カラマツ、エゾマツなど家具に加工しやすい針葉樹材を豊富に抱える旭川は、まさに家具づくりの好条件を携えており、空襲による被害も少なかったため、戦後の復興需要とともに売り上げを拡大しました。
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